コロナ禍で失って気づいた「雑談」の重要性

雑談なんていらないと思っていた

前回の記事で、VR×雑談の可能性について熱く語りましたが、じつは私は雑談が得意ではありません。

事前にテーマや持ち時間が決まっている状況であれば問題なく話せるのですが、フリートークとなると何を話せばいいかわからなくなります。

そのため、飲み会のような雑談が必要になる場では、おしゃべりな人の近くの席をキープしてその人にしゃべってもらい、相づちを打つことで「ちゃんと雑談してる感」をかもし出して乗り切っていました。

別に今に始まったことではなく、子どもの頃からずっとそんな感じなので、私の性質みたいなものなのでしょう。

相手を知るための情報が入ってこない!

そんな生粋の雑談嫌いなので、コロナ禍であらゆることがリモートになり、雑談の機会が減ったことを最初は内心喜んでいました。

ところが、その状態が1年、1年半と続いてくると、これまで雑談で得られていた「ちょっとした情報」が全然入ってこなくなったことに気づきました。

相手がどんな価値観を持っているのか、どんな考え方をするのかといったことは雑談の中で知ることが多く、そこから相手の人柄を理解したり、どんなつきあい方をするのがよいかを探ったりしていたことが、雑談を失ってようやく分かったのです。

リモート時代の雑談とのつきあい方を考える必要がある

おそらくまだしばらくは、かつてのように何も気にせずリアルな場に人が集まっておしゃべりすることは難しいでしょう。また、もし感染の心配をすることなく集まれる状況が戻ったとしても、その間に一気に進んだコミュニケーションのオンライン化の流れは戻らない気がします。

リアルな場とオンラインでまったく同じコミュニケーションを実現するのは難しいですが、オンラインだからこそできることもあるはずです。これからの時代に合わせた雑談とのつきあい方を考える必要があると感じています。

Pocket