ビジネスや教育、地方創生など、従来はVRとは縁遠かった分野でVRコンテンツが活用されはじめている。当サイトでも日々情報をお伝えしているが、その多くがコミュニケーションやユーザーが新たな情報を得ること、商品を販売することなどを目的にしている。
そんな現状のなか、「脳機能の測定」という非常にユニークな分野でVR活用をしているのが、MIG株式会社だ。
同社が提供する「Brain100 studioプログラム」は、VRゴーグルを使った脳機能測定「空間ナビ測定」と、生活習慣のチェック、その後のサポートによって、アルツハイマー型認知症の発症を回避することをめざすプログラム。そのしくみや開発の経緯を聞き、実際に測定を受けてみた。
目次
なぜ、VRで脳機能を測定できるのか?
VRで脳機能を調べると聞くと意外な印象だが、これにはアルツハイマー病にいたるまでの進行ステージが関係しているという。
アルツハイマー病の前段階となる脳神経細胞の破壊は40〜50代頃から始まり、長い時間をかけて徐々に進行していく。
最初期の段階では、脳の「嗅内野(きゅうないや)」とよばれる部位で破壊が始まる。嗅内野は海馬の隣にあり、情報の出し入れのゲートとして中枢の役目を果たしている。そして、空間内での自分の位置を把握する「空間ナビゲーション」の機能も司っているといわれている。
そこで、VR空間内を移動するテストによって、脳の空間ナビゲーション機能がどの程度正しく機能しているかを調べ、自身の現状を確認するというのが測定のおおまかなしくみだ。
早い段階で知り、予防活動に取り組む
早い段階で自身の脳健康の状態を知ることは、予防活動を行う上でとても重要だという。
嗅内野の破壊が始まる最初期の段階は、55歳で約半数、75歳で85%程度が該当するが、この時点では物忘れなどの自覚症状がない。
そして、次の段階である「軽度認知障害(MCI)」になると、大脳辺縁などの周辺部位にも破壊が広がる。
この段階から対策を始めた場合、投薬で進行を抑制するなどの対処はできるものの、抑制は短期間にとどまり、5年で50%程度がアルツハイマー病を発症するという。
一方で、最初期の段階であれば、さまざまな予防活動がまだ効果的だと考えられている。それなら当然、最初期の時点で対策を始めたいものだが、この段階に「気づく」のは難しい。
自覚症状がない上に、現在認知症検査として広く行われている血液検査や神経心理テスト、MRIやPET検査などは、いずれもMCI発症以降を知ることを目的としているためだ。
そこで、最初期の段階で脳健康の状態をチェックできる方法として開発されたのが空間ナビ測定だ。
母親の認知症介護経験からプログラムを開発
このプログラムが開発された背景には、同社の代表である甲斐英隆氏自身の認知症介護の経験がある。甲斐氏は10年間にわたって母親の介護を続け、最後の4年間は身内の顔も認識できない状態になっていたという。
そのときの父親の悲しそうな表情が忘れられず、2017年に起業を決意。学習院大学理学部生命科学科教授で同社取締役CSOの高島明彦らと共にアルツハイマー病早期発見の方法を模索し、空間ナビゲーション機能の測定に行き着いた。
ただし、この測定をリアルな空間で行うには一定の広さの空間が必要になる。場所を選ばずに測定を実施できるようにするため、当時普及し始めだったVRヘッドセットを活用することにしたという。
実際に「空間ナビ測定」を受けてみた!
しくみや背景がわかったところで、筆者も実際に空間ナビ測定を受けてみた。測定にはMeta Quest2を使用し、回転するタイプの椅子に座った状態で行う。
ガイダンスが終わると、塀で囲まれた円形の広場が現れる。現在地から離れた場所に黄色と赤の「旗」が立っているので、まずは経由地点となる黄色の旗に向かって移動する。
この測定では、体の向きを進行方向に向けた後、コントローラーの「X」「Y」ボタンを押すことで前後に移動する。コントローラーのスティックを進行方向に傾ける一般的なQuest2アプリの移動方法に比べて、「どの方向に向かいたいか」をはっきり意識する必要がある。
黄色い旗の地点に到着したら、今度は赤い旗に向かって移動。
赤い旗の地点に着いて振り返ると、先ほどまで見えていた黄色い旗が消えている。ここからが本番だ。目印となる黄色い旗がない状態で、自分の感覚を頼りにスタート地点へ戻らなくてはならない。
測定が終了すると正しいスタート位置に水色の柱が表示され、どのくらいずれていたかが分かる。この測定を計3回行う。
ルールはシンプルだが意外と難しい。周囲に木や山が見えているので、最初はそれを頼りに移動しようと思ったが、同じような山が複数あるため逆に惑わされてしまう。やはり、自分の「感覚」で移動するしかないようだ。
WHOガイドラインの生活習慣チェックも実施
プログラムでは、VRでの空間ナビ測定に加えて、設問形式の生活習慣のチェックも実施される。WHO(世界保健機関)の認知症予防ガイドライン(RISK REDUCTION OF COGNITIVE DECLINE AND DEMENTIA)で推奨されている項目に独自項目を加えた16項目について質問に答えていく。
質問内容は、運動や食生活、喫煙や飲酒のほか、趣味や仕事の状況、脳を使う作業をしているかどうかなど多岐にわたる。
レポートには同年齢の相対評価も!結果は……
2つのチェックが完了すると結果レポートがPDFで送られてくる。測定結果に加えて結果の読み方やそれぞれの項目の解説、改善方法なども載っていて、かなりボリュームがある。
空間ナビ測定
まずは空間ナビ測定の結果。「本来のスタート地点からどのくらい離れていたか」は、「Vm」という単位で表され、これが5.0Vmを超えると要注意だという。3回の測定の平均は4.5m。なんとか正常の範囲内に収まっている。
同年齢の平均と比較した相対評価は、実年齢39歳に対して推定脳健康年齢が40歳とのことで、「やや悪い」という結果に。
(ちなみに測定を受けた時点で39歳10か月。あと数か月タイミングが遅ければ違う評価にになっていたのかも…)
生活習慣チェック
レポートの後半は生活習慣チェックの結果。1000点満点のスコアとレーダーチャート、項目別のリスク状況がわかる。
アンケートに回答している時点で予測はついていたが、「運動」がかなりひどい状況。「体重ケア」は、痩せ型のために要注意の判定となっているようだ。
ちなみに「口腔ケア」は状況の分かる人のみ回答する項目だったため、無回答で提出している。
レポートには項目ごとの詳細なアドバイスも載っている。「運動」のページを見ると、1日3キロ以上歩き、エクササイズや有酸素運動をするのがよいとのこと。そして「体重ケア」のアドバイスには、痩せていることもリスク因子になるとの解説が。
どうやら、運動をして筋肉をつける必要がありそうだ。
会員向けには脳トレアプリなども提供
測定を受けた後は、プランに応じて6か月もしくは1年間、会員コミュニティへの参加が可能。オリジナルのスマホアプリも用意されており、指定されたルートでVR空間内を移動する脳トレゲームに取り組める。
このほかに、オンラインセミナーやメールマガジン、認知症の疑似体験ムービー、ヨガ動画などのコンテンツを会員向けに提供。さらに、キリンの開発したサプリメント「ホップ効果」「ブレメンテ」を会員価格で提供するなど多面的に予防活動をサポートしている。
企業の福利厚生としても提供、結果は本人のみに
測定は渋谷の直営スタジオのほか、提携する施設でも受けることができる。現在は、最先端の機器を使ったトレーニングプログラムを行う「つくばロボケアセンター」と「湘南ロボケアセンター」で提供されている。利用者は50代、60代、70代が各3割ほどで、40代のうちに受ける人はまだほぼいないが、これから積極的に啓蒙したいとのこと。
また、企業の福利厚生の一環としての提供も行っている。SDGsなどに取り組む比較的大規模な企業の利用が多く、結果は本人にのみ伝えられる。
今後は、両親が50歳前後であることの多い大学生を対象にした啓蒙も行っていきたいという。
将来は医療機器認証の取得もめざす
今年2月には、医療時代劇マンガ『JIN-仁-』作者の村上もとか氏、集英社とともに、書籍『JIN-仁-と学ぶ 認知症「超」早期発見と予防法』を出版。高島教授が認知症や空間ナビ測定について対話形式で解説する内容で、本を読んだことをきっかけにテストを希望する人も増えているそうだ。
将来的には医療機器認証の取得もめざし、病院での検査や運転免許更新時のテストなど、幅広い場で使われるようになることが目標だという。
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「場所の制約をなくす」というVRのよさを新しい分野に活用した同サービス。ゲームのような感覚でトライできるので、認知症への危機感がまだ薄い世代が抵抗なく取り組めることも魅力だと感じた。
生き物である以上、「老い」は確実に訪れる。それを少しでも遠ざけるために、知識を持つこと、現状を知ること、今できることを実践することの重要性を認識するきっかけにもなった。